2020年12月27日、シンガーソングライターの宏菜さんのライブを観に、大塚のライブハウスへ。
地下の暗がりの廊下、進む先の二重扉、15名ほどのお客さん。1番後ろの席に座った。
コロナになってから、初のライブハウスだった。
照明が暗くなり、宏菜さんのライブが始まった。僕は後方の席からじっと、壇上から響く宏菜さんの演奏に耳を傾けていた。
いつも思うのが、宏菜さんは前に見た演奏よりも、さらに力強く、より良い演奏をする。いつもいつも、前回の演奏をぐっと超えた全力パフォーマンス。みている方も少し心配してしまうぐらいに、とてつもなくまっすぐに真剣だ。
「重ねた努力で作ったミルフィーユがあったら、宏菜さんのは一番うまいんだろうなぁ」なんて考えながら、壇上の宏菜さんは刃のようなギターを、ピックを持たぬ右手でじゃんじゃかとかき鳴らし、表現豊かな美声でときに優しく、ときに激しく歌う。
僕は遠くに飛ばされないよう、心の中にある崖にしがみつきながら聴いていた。
最後のひとつ前の曲だった。なんと、僕が作詞作曲した「太宰ロック」を、宏菜さんがカバーしてくれた。
ライブハウス特有の、暗がりの中で沸き立つキラキラとした空気。その中で太宰ロックは、まるで生きているかのようにキラキラと鳴っていた。
のちに、一緒に観に行ったインスタ漫画家のズズズさんは「宏菜さんがカバー曲をやることはほぼない」と語っていて、それを聞いてより一層嬉しくなった。
宏菜さんの太宰ロックは、言葉の一つひとつを、とても丁寧に歌っているのが、誰の耳で聴いても分かるぐらい、リスペクトを多分に含んでいた。一方で、その演奏は奥行きと厚みを持つ「太い演奏」だったように思える。「思える」というのは、僕はその演奏を目の前にして、記憶があいまいになるぐらい、その空間に強く引き込まれていたからだ。
時が徐々にゆっくりになっていく。空間が少しずつクリアになっていく。気がついたら鳥肌が立っていた。
ライブが終わり、振り返るとズズズさんは泣いていた。明日のジョーのラストシーンのように、打ちひしがれて泣いていた。
それを見て、なんでか分からないけど、会場にいた誰よりも、僕が一番嬉しかった。
そのあと、会場を出て、ズズズさんと宏菜さんと少し話をし、改めて思った。
今年は「太宰ロック元年」だったんだな、と。
僕の作った稚拙な曲が、こうやって誰かの目に触れ、愛されている。
家で、口ずさみながら、ギター抱えて作った、自分の曲。歌詞も何度もなんども書き換えて、せこせことオープンマイクに持っていき披露した。
コロナになってから、僕は一度もオープンマイクに行っていない。太宰ロックも、最近は人前でぜんぜん演奏できていない。
今日、大塚のライブハウスで、宏菜さんの太宰ロックを聴けた。
蒸し暑くて茹で上がってしまうような夏のある日。代々木公園のだだっ広い原っぱで、宏菜さんに公開前の太宰ロックMVを見せたこと。いまでは懐かしいぐらいに感じてしまうのに、僕は鮮明にその光景を思い出せている。
MVを公開してから時間が経って、忘れていた。2020年は太宰ロックの年だった。
MVの感想をインスタのDMでいただいたり、ズズズさんのnoteで熱い文章を読んだり、引きこもりの息子を持つお父さんからFaceBookでメッセージをもらったり。
それら全てを、その一瞬で宏菜さんは思い出させてくれた。
「終わりよければすべてよし!」と言った具合に、宏菜さんは僕とズズズさんの2020年を締め括ってくれた。
「感謝」という感情よりはもっとまっすぐで、より直感的で。もしも口に出すとしたら「照れありがとう」みたいなものなのかな。まぁよく分かってないけど、そんなところ。
来年はチャバネゴキブリの恋のMVも作りたいなぁ。そんで、また新しい曲を作ろう。
太宰ロック。うぉううぉおー。太宰ロック。
ありがとう。
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2020年、太宰ロック元年
2020.12.26