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okutaniのTwitter以上, ブログ未満な文章

優しさについて(Bottom Giverにならない方法について)

2021.03.12New

最近、「自分から誘うことについて」という記事を公開して、なんとなくぼんやりとどこか引っかかっていて、ぼけーっと部屋でコーヒーを飲みながらあれこれ考えていた。

たまたま、YouTubeでメンタリストDaiGoさんの「優しくて舐められる人、舐められない人の違いとは」という動画を見て、ちょっと腑に落ちたので、さらに考えを整理するためにも一つ文章にまとめてみた。

優しくして舐められる人、舐められない人の違いとは - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=7WZzdgwlans

動画ではこのようなことを話していた。

幸福を一番感じられるのが「Top Giver」(Giver=与える人)で、幸福を一番感じられない人が「Bottom Giver」、その真ん中にTaker(貰う人)やMatcher(与える・貰う割合が同じぐらい)がいる。

なので、相手に与えることがうまい人は一番「幸福度が高い」。

逆に、相手に与えることがうまくない人は一番「幸福度が低い」。

なるほど、これに自分を当てはめて考えると、自分は「Bottom Giver」の可能性が高いらしい。

今までの自分の人生を振り返ると、周りからは「優しい」とか「気が利く」とか言われることが多かったが、どこか舐められている感じがずっとしていた。

気をつかって奢りたくない場面でも奢ってしまったり、めんどうだと思っても頼み事を引き受けてしまったり。

そのことが原因で人間関係の構築がうまくできなかったり、イライラしたり、自分から縁を切ってしまうことが多かった。

ずっとどこか引っかかっていたが、やっとその答えが出た。

DaiGoさんいわく、

「自己犠牲を伴うお願い事に"No"を言うことで、相手に舐められなくなる」

とのこと。

なるほど。「なにか相手にしてあげる(与える)場合、自己犠牲が伴っている場合はちゃんと断る」ことが大事だったのか。

自分に当てはめて考えてみた。

例えば、引っ越しの手伝いをしたらご飯をおごってもらうとか、車を出したらガソリン代ぐらいはおごってもらうとか。

ただご飯を食べるだけの関係ならわざわざ奢ったりしないとか、パソコンやプログラミングを教えてあげたらちゃんとお金をもらうとか。

ただし、ここでいう「自己犠牲」ってのが、あくまで主観的なもので、人によってけっこう左右されることがある点は注意しないといけない。

例えば、ビジネスや自分のやりたいことが伴っている際の食事会などは、自分がお金を出してあげるのはなんら問題ないと思う。一種の「投資」みたいなもんだと考えられるし。

自分自身が楽しいと思えることや、気がしれた仲の友達と遊ぶときなどは、そこまで自己犠牲が〜とか考えすぎなくていいんじゃないかな。相手もそれを分かっていると思うし。

ただ、いくら仲が良くても自己犠牲が伴って話がこじれる場合もある。というか多々あった。それが自分自身の生き辛さに直結している気もしている。

話を元に戻そう。なるほど、先日書いた「自分から誘うことについて」で触れた「なぜ自分ばかりが気をつかって誘わないといけないのか」という点。

上記を加味して考えると、答えはやっぱり「わざわざ気をつかって誘う必要はない」というわけだ。

相手を誘うときは、「自分に自己犠牲がない場合だけ誘う」ということを意識していればOK。

たぶん、ここでの自己犠牲は、誘いを断られるストレス、〇〇をする段取りの手間、相手のそのときの心情を考える、とか、まぁちょっとそれって自己犠牲なのかと疑問に思うことが多いけど、とにかく自分が自己犠牲だと思ったらそれは自己犠牲なんだろう。

誘うことでストレスを感じてしまうってことは、その行為自体、自分にとってマイナスがあるってことだから。

相手を誘うときは、自分にストレスがないと分かりきってるときだけ誘う。

なにかをしてあげるときは、それに伴う見返りを貰う(僕はこれがマジでうまくできないけど)。

うん、なるほど、納得できた気がする。すこし気持ちがすっきりした。

やっぱり心理学や哲学は、学べば学ぶほど面白い。どんどん生きやすくなっていくような気がする。

ストレスもすこし減ったので、ジャズでも聴きながら気持ちよく仕事でもしよう。