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okutaniのTwitter以上, ブログ未満な文章

自分は自分だとか

2021.06.29

「俺は峯田だ」

銀杏BOYZの武道館ライブに行ったとき配られた、銀杏新聞に書かれていた言葉。

すごく力強い言葉だと思った。矢沢永吉の「矢沢はどうかな?」に匹敵する言葉だと僕は思った。

ふと弱音を吐きそうになるとき、峯田さんのこの言葉が心に浮かぶ。

自分に自信がある人はかっこいい。

「俺は奥谷だ」とつぶやいてみて、やっぱり「まだ」違うな、とそして、いつまで「まだ」をつけているんだ?とか、いつかっていつだ?とクリープハイプの歌詞みたいだな、なんて、深夜一人。

いつまで経っても上手くならないギターに、いつまでもしっくりこない下手くそな歌を乗せて、録音。

何度聞いても、聞けた試しはない。

結局、進んでいるのかどうか。

ときどき、泣きそうになる。

ブログを始めたときに知った人たち。

一度見たことがあるぐらいの人なのに、妙に意識してしまい、YouTubeの登録者数が何万人だとか、テレビに出たとか。

「俺は峯田だ」

自分は自分だと、そう言い聞かせても、なぜだか泣きたい気持ちになるんだ。

新しいことをしようと、なにか始めたくなったとき、すでにその領域で結果を出している人がいる。

音楽も、文章も、絵も、プログラミングも、ビジネスも、上には上がいる。

「自分は自分」

お金を稼いでいる、人脈がある、才能がある、人に認められている、社会に貢献している、仲間がいる。

「自分は自分」

「自分は自分」

「自分は自分」

一本1000円の安いウイスキー。

くだらない深夜のTV。

愚痴の多い僕。雨夜。

「まだ」はまだ、まだのまま。