「俺は峯田だ」
銀杏BOYZの武道館ライブに行ったとき配られた、銀杏新聞に書かれていた言葉。
すごく力強い言葉だと思った。矢沢永吉の「矢沢はどうかな?」に匹敵する言葉だと僕は思った。
ふと弱音を吐きそうになるとき、峯田さんのこの言葉が心に浮かぶ。
自分に自信がある人はかっこいい。
「俺は奥谷だ」とつぶやいてみて、やっぱり「まだ」違うな、とそして、いつまで「まだ」をつけているんだ?とか、いつかっていつだ?とクリープハイプの歌詞みたいだな、なんて、深夜一人。
いつまで経っても上手くならないギターに、いつまでもしっくりこない下手くそな歌を乗せて、録音。
何度聞いても、聞けた試しはない。
結局、進んでいるのかどうか。
ときどき、泣きそうになる。
ブログを始めたときに知った人たち。
一度見たことがあるぐらいの人なのに、妙に意識してしまい、YouTubeの登録者数が何万人だとか、テレビに出たとか。
「俺は峯田だ」
自分は自分だと、そう言い聞かせても、なぜだか泣きたい気持ちになるんだ。
新しいことをしようと、なにか始めたくなったとき、すでにその領域で結果を出している人がいる。
音楽も、文章も、絵も、プログラミングも、ビジネスも、上には上がいる。
「自分は自分」
お金を稼いでいる、人脈がある、才能がある、人に認められている、社会に貢献している、仲間がいる。
「自分は自分」
「自分は自分」
「自分は自分」
一本1000円の安いウイスキー。
くだらない深夜のTV。
愚痴の多い僕。雨夜。
「まだ」はまだ、まだのまま。
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okutaniのTwitter以上, ブログ未満な文章
自分は自分だとか
2021.06.29