最近の僕といえば、怪物という映画を一人で観に行き、Filmarksで3.6をつけたり。
西村賢太の苦役列車を読み、勝手に主人公に自身を重ね、卑下せど、たいして生きることに必死になどなっていない。
浅野いにおのおやすみプンプンを読んで、やはり、自己陶酔し、なに一つ分かっていないのに一人、分かったつもりでいる。
あの子に嫌われてしまった。
返信が無いだとか、既読が付かないだとか。
ADHDの悪い癖が、また最近、出てしまっている。
井の頭公園でスナップを撮っているときは、人前で歌をうたいギターを弾いているときのように、ちょっとだけ現実を忘れられる。
月に1度のゆるい弾き語り。
そんなもので、人生が180度変わってしまうことなど、決してありえない。
現実を忘れたいから、すこしの努力で、自分自身を肯定できるお便利なツールとして、人前でオナニーをして、悦に浸り、たいして、良い曲など作れていない。
ここ数年、仕事が、何一つ面白くない。
ギスギスした人間関係で、大人は「これが大人なんですよ」とホラを吹き、現実として、社会として、そこに堂々と居座り続けている。
とんだ迷惑だ。
つまらないものを「つまらないものですが」って差し出すバカが、社会、そのもの。
努力もしていない自分がどうこう言っているのが、やはり浅ましく、女々しく、しかし、どこか諦め難く、ここ数年、必死の抵抗をしている。
マッチングアプリで会った女の子と数回デートして、キスをした。
その数回のデート代をケチ臭く、ちまちま計算したら、3万円もした。
3万円のキス。
こんなんだから、俺には1年以上彼女がいない。
人並みになれない。
今まで付き合った、すべての女の子と、結婚して、いまごろ、人並みを演じられていたらよかったのに。
演じられるだけの幸せを、幸せだと捉え、頭のネジを一本とおくへ投げやって、幸せごっこ、大人社会のお仕事を「楽しいたのしい」と、家族のためだ、愛する人のためだと、演じられていたらよかったのに。
そうやって自分を誤魔化し、社会を正しいと思い込み、「今は子どもに自分の未来を託しているんだよ!子どもは宝!そのために自分は一生懸命に働いているのさ!」と、己の人生へ言い訳を重ね、かさね…
…そんなハッピーピエロお父さんになれる努力もしていないし、資格すらない。
と、また自己陶酔。
どうせ、今ごろ、全世界、日本中の、すべての女性は、他の男と寝ている。
僕だって、人前に出ればこそ、いくらでも仮面をつけて、ザ・コミュニケーションだってやってのけるのだ。
生きるための企業エントリーは、大人ごっこの取り繕った面談を経て、ひねくれた僕とのミスマッチを起こすたび、僕をすこしずつ疲弊させる。
あと数日も経てば、僕は33歳になるらしい。
いつ、人並みになれるのだろうか。
いや、人並みになれるのだろうか。
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okutaniのTwitter以上, ブログ未満な文章
人並み
2023.07.16