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Twitter以上, ブログ未満な文章

トリートメントされた日々

2019.05.31
今日の井の頭線は遅延もなく、定刻通り出発する。

朝のコンビニ。おにぎりかサンドイッチのどちらかを選択する。

毎日まいにち、エナジードリンクでもって体内に取り込む。

なんとなくではあるが、今、仕事が目の前にあり、それをこなすことで生かされている。

金に不自由はしていない。

飲みにいこうと思えば金に気にせず、自由に飲める。まぁ、お世辞にもうまいとは言えない、安い居酒屋ぐらいでしか飲まないのだが。

一般的にはそいつを「幸せな日々」と呼ぶらしい。

形として恋人がいて、形として結婚があり、形として家族や、友達やら。

それを1つでも不足なく、満遍なく、手にしている状態を幸せと呼ぶらしい。

僕らは選択できる。

日本で生きているかぎり、餓死はしないだろう。

何かにチャレンジして失敗しても、この日本でいる限り、死にはしない。

万が一、自己破産するも、生活保護を受けるも、犯罪を犯して死刑にならない限り、人はなんとなくは生きていけるのだ。

一方、トリートメントされた日々は、僕らの感覚を麻痺させ、蝕んでいく。

それに気がついて、行動できる人もいれば、目を瞑り、日々満員電車に揺られ、何かを守って生きている人たち。

ただ、答えは人の数だけあるような気がしている。

「こうすればいいんだよ」なんてことはないんだ。

井の頭線、ウルフルズを聴いて、揺られ、僕はどうにか今生きている。

「答えがない毎日を変えられるのは、自分自身しかいない」

なんてことを、ボサボサの頭で考えている。